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黒田官兵衛が有岡城の戦いで荒木村重に幽閉され人生最大の危機を迎える

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今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」では黒田官兵衛の生涯を描いていますが、その黒田官兵衛の一生の中で、間もなく人生最大の危機を迎えようとしています。

その人生最大の危機とは、有岡城の戦い。

有岡城の戦いは、荒木村重が主君の織田信長に対し謀叛して起こした戦いです。

このとき、黒田官兵衛は荒木村重を翻意させようと有岡城に赴きますが、かえって荒木村重にとらわれ、有岡城の中の土牢に幽閉されてしまいます。

さて、有岡城の戦いの概要をみていくと、この戦いは1578年7月に始まり、1579年10月に終わっています。

荒木村重が織田信長に叛旗を翻した理由は現在でもはっきりとはしていない部分もあるようですが、荒木村重は織田信長に戦いを挑みます。

これが有岡城の戦いですが、戦いの本質は籠城戦。

織田家と敵対する西の毛利家の援軍を頼りとして、積極的に城外に討ってでる戦いではありませんでした。

荒木村重が謀叛を起こした当初は、織田信長も荒木村重の実力を惜しんで、様々な武将を遣わして翻意させようとします。

しかし、織田信長の苛烈な性格を知っていた荒木村重はそうした幾たびかの申し出を拒否。

織田信長に対する戦いを始めようとします。

そんなとき、有岡城を訪れたのが黒田官兵衛。

黒田官兵衛は荒木村重とは旧知の仲。

そうした自信からか黒田官兵衛は荒木村重を翻意させようと有岡城を訪問しますが、他の武将が有岡城を訪れた時とは異なり、黒田官兵衛を拘束して城の中にある土牢に幽閉をします。

どうして、黒田官兵衛だけを幽閉したのかは定かではありませんが、一説には黒田官兵衛の主である小寺政織と荒木村重は通じていて、その小寺政織が黒田官兵衛を殺すあるいは幽閉することを依頼したためとも考えられています。

この幽閉を織田信長の側から見たら、黒田官兵衛が荒木村重のところへ行ったきり帰ってこない。

黒田官兵衛も自分を裏切ったのか、そう織田信長は考えます。

そして、織田信長は黒田官兵衛からの人質である松寿丸を殺すよう羽柴秀吉に命じます。

その命を受け取った羽柴秀吉は大いに頭を悩ませますが、ここで機転を利かせたのが竹中半兵衛。

竹中半兵衛は松寿丸をかくまい、その命を助けます。

仮にここで松寿丸を殺してしまったとしたら、後の黒田長政は誕生しなかった。

そう考えると竹中半兵衛の功績は多大であったといっても過言はないように思われます。

一方、松寿丸の父である黒田官兵衛は相変わらず幽閉をされています。

この幽閉中、黒田官兵衛の家臣である栗山善助などが中心となり、有岡城の牢番を買収、黒田官兵衛と家臣たちは会うことはできるようになったものの、かといって脱出まではできません。

結局、黒田官兵衛が幽閉から救出されたのは有岡城が陥落してから。

約1年に及ぶ土牢での幽閉生活で黒田官兵衛は皮膚病にかかり、さらには身動きも不便であったため脚が曲がり、結局、この脚は一生治ることはありませんでした。

黒田官兵衛が謀叛ではなく幽閉されていたことを知った織田信長は松寿丸の殺害を命じたことを後悔しますが、竹中半兵衛の機転により生きていたことを知り、安堵をします。

ただ、松寿丸の命の恩人である竹中半兵衛は、有岡城の戦いの最中に肺病のため他界。

残念ながら、有岡城の戦いの結果、黒田官兵衛の生死については知ることなく、この世を去っています。

この有岡城の戦いは、黒田官兵衛にとって人生最大の危機と言えそうです。

しかし、軍師官兵衛で描かれていたこれまでの黒田官兵衛はさわやかすぎるのが欠点。

1年間の幽閉生活がさわやかすぎる黒田官兵衛から、狡さも併せ持つ真の軍師官兵衛誕生のきっかけになるのかもしれません。

軍師官兵衛で黒田官兵衛の人生最大の危機がどのように描かれるのか、とても興味深いところです。


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