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別所哲也演じる山中鹿之助は尼子家再興に尽くすも毛利氏に謀殺される

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現在、軍師官兵衛で描かれているのは1577年頃。

羽柴秀吉は織田信長の命により播磨国に侵攻をしています。

播磨侵攻では、羽柴秀吉と黒田官兵衛の結びつきが深まっていますが、合わせて登場する重要人物が別所哲也演じる山中鹿之助です。

当時は終わりかけているとはいえ戦国時代。

いわゆる下剋上の時代で裏切りなどは当たり前の時代でした。

実際、播磨国のすぐ近くには梟雄として名をはせた宇喜多直家のような大名もいました。

しかし、別所哲也演じる山中鹿之助はそうした人物群とはまったく異なる生き方をした武将として、現代にもその名前を残しています。

山中鹿之助は尼子氏の家老の家の子供として生を受けます。

山中鹿之助の生年ははっきりとしていませんが、わかっているのは山中鹿之助が生まれた後に、主家であった尼子氏が大名の地位を追われたことです。

尼子氏は元々室町時代の初期から出雲国の守護代として知られていましたが、戦国時代に入り、勢力を伸ばしてきた毛利氏に侵略され、出雲国の大名からその座を追われていました。

尼子氏が大名の座を追われてから、山中鹿之助の活躍が知られるようになります。

一度は大名の座を追われた尼子氏も山中鹿之助など家臣の尽力により、2回ほど大名の座に返り咲きます。

しかし、結局は毛利氏に敗れ、2回目の再興からも追い落とされてしまいます。

軍師官兵衛で山中鹿之助が登場するのはこのころ。

3回目の尼子氏再興を目指しているところで、実際、羽柴秀吉の力により、尼子氏は3回目の再興に成功して、上月城の守護を命じられます。

しかし、播磨国が平定されたと思ったのもつかの間のこと。

その後、別所長治が織田家から毛利家に鞍替えをしてしまったことで、上月城は毛利氏の吉川元春、小早川隆景に包囲をされてしまいます。

本来であれば、ここに羽柴秀吉などが援軍に赴くはずでしたが、織田信長の命により羽柴秀吉は別所長治の籠る三木城攻めを命じられ、上月城は孤立無援の状況になります。

山中鹿之助は約3か月の籠城戦を戦い抜きますが、兵糧も尽きたことから降伏。

尼子氏の当主である尼子勝久は切腹、山中鹿之助は捕らわれます。

そして、山中鹿之助は毛利氏のもとへ護送される途中、備中国において謀殺、30数年の短い生涯を閉じます。

また、山中鹿之助の謀殺を持って、尼子氏再興の夢は途絶えてしまうことになります。

軍師官兵衛の中で別所哲也演じる山中鹿之助は、月に向かって「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と語っています。

この言葉は尼子氏再興を願った言葉として有名で、現在でも山中鹿之助の人柄を示す逸話として伝えられています。

残念なことに山中鹿之助は謀殺され、尼子氏再興も夢に終わってしまいますが山中家そのものは残ります。

そして、山中鹿之助の子孫は酒造業で財をなし、江戸自体の大財閥である鴻池家を起こします。

そのことはともかくとして、山中鹿之助は忠義の士として知られています。

現在、軍師官兵衛で描かれているのは1577年頃、そして山中鹿之助が謀殺されるのは1578年。

軍師官兵衛で山中鹿之助が登場するのはほんの一瞬になりますが、だからこそ別所哲也の熱演に期待をしたいところです。


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