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中村倫也演じる織田信忠は父織田信長と共に本能寺の変で倒れる

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軍師官兵衛の主人公である黒田官兵衛とは直接的な接点はあまり見受けられません。

しかし、黒田官兵衛の人生にも大きな影響を及ぼしたのが中村倫也(なかむら ともや)演じる織田信忠です。

織田信忠は織田信長の嫡男。

軍師官兵衛では織田信長の正室と伝えられている濃姫と同じシーンで登場をしていた織田信忠ですが、織田信忠は濃姫の子ではなく、生駒氏の生んだ子というのが定説のようです。

織田信長は天下布武の名のもとに敵対する戦国大名に次々と戦いを挑んでいますが、形式上は1576年、織田信長が本能寺の変で亡くなる6年前に家督を嫡男である織田信忠に譲っています。

ところで、織田信長は絶大な知名度を誇りますが、それに対して中村倫也演じる織田信忠はあまり知られていません。

それもそのはず。

1582年に織田信長が明智光秀に謀叛をされ本能寺の変で横死したとき、合わせて織田信忠も亡くなっているためです。

織田信忠は1557年生まれ、亡くなったのは1582年ですから25歳頃に短い一生を遂げています。

織田信長は本能寺で亡くなりましたが、織田信忠は本能寺より少し離れた二条城に滞在。

したがって、織田信長と行動を共にしていたわけではなく、織田信長を倒した明智光秀も本能寺に全力を手向け、二条城に対する攻撃は幾分緩やかだったとされているため、織田信忠自身は逃げることも可能であったとされています。

しかし、織田信忠自身は逃げることを潔しとせず、そのため場所は異なっていても織田信長と同日に命を落としています。

そして、このことが織田信長の家臣であり、黒田官兵衛の主であった羽柴秀吉の人生を大きく変えることになり、必然的に黒田官兵衛の人生を大きく変えることになります。

羽柴秀吉は本能寺の変の時には中国地方で毛利家と戦っていましたが、本能寺の変を知ると、すぐに毛利家と和睦していわゆる「中国大返し」をします。

そして、山崎の合戦で明智光秀を撃破して、その後、織田家の後継者を決める清州会議に臨みます。

ただ、このときに織田信忠が生きていたらどうだったでしょうか。

織田信忠はすでに父である織田信長から家督を譲られています。

仮に織田信忠が生きているとしたら、清州会議は存在意義さえなかったはずです。

清州会議が行われたとしても、それは今後の方針を決めるもの。

織田信忠が織田家の当主であり、清州会議に参加した諸将は織田信忠の家臣にすぎなかったはずです。

しかし、実際は織田信忠も亡くなっており、織田家の家督をだれが継ぐのかというのが最大の課題になっていました。

このときに織田家最古参の柴田勝家は織田信長三男の織田信孝を後継者に指名し、明智光秀を破った羽柴秀吉は織田信忠の嫡男三法師を後継者に指名しようとします。

血筋でいえば三法師に理がありますが、当時はわずかに3歳。

一方の織田信孝はすでに元服し戦場にも出ているので、織田家を守ろうとするのであれば織田信孝の家督相続がむしろ自然ともいえました。

しかし、実際は羽柴秀吉の意見がとおり、織田家の後継者は三法師になります。

以前より、険悪の間柄であった羽柴秀吉と柴田勝家の亀裂は決定的となり、翌年には賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉は柴田勝家を撃破、北ノ庄で柴田勝家を自害に追い込みます。

また、この戦いを契機として、羽柴秀吉は天下取りにまい進することになります。

歴史に「IF」はないといわれますが、織田信忠か生きていれば、羽柴秀吉の天下取りはなかった可能性が高いですし、黒田官兵衛もそれほどに注目されなかったはずです。

ただ、実際は織田信忠が織田信長と共に倒れたことにより、織田家は衰退。

その後、羽柴秀吉が天下をとることになり、その過程において黒田官兵衛は軍師としての地位を確立します。

織田信忠が亡くなったことにより、羽柴秀吉、黒田官兵衛のその後の一生が決まったといっても過言ではないようです。

登場するシーンはそれほどないかもしれませんが、中村倫也演じる織田信忠がどのような織田信忠像を作るのかが楽しみです。


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