大河ドラマやプロ野球などのスポーツについてあれこれと書いています。

立川三貴演じる佐久間信盛は織田信長の重臣だが最後は追放される

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

天下布武の名のもとに急成長を遂げた織田信長。

織田信長は斬新な考え方で天下統一にまい進しますが、大きな特徴は能力のある人物を積極的に登用したことにあります。

羽柴秀吉を筆頭として、明智光秀、荒木村重、滝川一益などは、元々は織田信長の家臣ではありませんでしたが、それぞれその能力を買われ重用されます。

また、一方では織田家譜代の家臣も存在しています。

具体的には、柴田勝家、丹羽長秀、前田利家、そして立川三貴演じる佐久間信盛です。

佐久間信盛は1528年ごろに生まれたとされています。

織田信長が1534年の生まれとされていますから、織田信長より約6年の年長のようです。

佐久間信盛は最初は織田信長の父である織田信秀に仕えていましたが、その後、織田信長に仕えることになります。

織田信長は桶狭間の戦いで一躍有名になりましたが、織田家の基盤は決して強いものではなく、織田信秀が亡くなった後は家督相続をめぐって、織田信長とその弟である織田信行が骨肉の争いを繰り広げています。

織田家の家臣もこの騒動で二分され、たとえば後世に織田信長の家臣としては最も勢力を誇った柴田勝家も、この騒動では織田信行に味方をします。

結果的には織田信長が織田信行を謀殺し、家督相続の争いは終止符を打ちましたが、この家督相続争いでも一貫して織田信長を支持したのが佐久間信盛です。

その後、佐久間信盛は織田信長の命により各地を転戦し武功を挙げることになりますが、1572年の武田信玄との三方が原の戦いや、1573年の朝倉義景との一乗谷城の戦いで失策を重ね、1580年には織田信長から19か条の折檻状を受け、織田家重臣の地位を奪われ高野山に追放。

さらには高野山も追われ、1582年1月に紀伊の国の熊野で55年の生涯を寂しく閉じることになります。

2014年の大河ドラマは軍師官兵衛。

黒田官兵衛が主人公なので、黒田官兵衛の接点の多くは羽柴秀吉ということになります。

実際、黒田官兵衛と立川三貴演じる佐久間信盛に接点があったのかどうかはわかりません。

むしろ当時の立場を考えると接点はほとんどなかったと考えるのが自然のような気がします。

では、軍師官兵衛でどうして佐久間信盛が登場するのでしょうか。

恐らくですが、それは織田信長の性格の苛烈さを示すためではないかと考えられます。

現在の軍師官兵衛、おおむね1576年の頃を描いています。

この後、1578年には織田信長に対して謀叛を起こした荒木村重の一族の多くを処刑しています。

1582年に本能寺の変で明智光秀に討たれた織田信長ですが、その晩年は性格の苛烈さが一層激しさを増したとも言われています。

その一例が荒木村重の一族に対する処断であり、1580年の佐久間信盛追放です。

父の代からの忠臣であった佐久間信盛、織田信長自身が幼かった頃から織田信長を守ろうとした佐久間信盛。

黒田官兵衛との接点はほとんどなかったと考えられるため、どうして佐久間信盛が登場するのか少し不思議でしたが、織田信長の苛烈な性格の犠牲者としてということであれば、1582年の本能寺の変も違和感なく受け入れられそうです。

実際のドラマがどのように展開するのかはわかりませんが、立川三貴の悲哀に満ちた演技に期待をしたいところです。


スポンサードリンク

関連記事

スポンサードリンク