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谷原章介演じる竹中半兵衛 両兵衛と讃えられた軍師が黒田家を救う

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軍師官兵衛では、谷原章介演じる竹中半兵衛がいよいよドラマの舞台の中央に進出してきました。

羽柴秀吉の家臣、そして軍師として、竹中半兵衛と黒田官兵衛は両兵衛と讃えられます。

しかし、この2人はそれだけではなく、軍師官兵衛の中では、間もなく竹中半兵衛は黒田官兵衛の嫡男である後の黒田長政を助け、黒田家を救う存在になります。

竹中半兵衛は、1544年生まれ。

黒田官兵衛は、1546年生まれ。

竹中半兵衛が2歳の年長になります。

しかし、亡くなったのは竹中半兵衛が1579年、34歳であるのに対し、黒田官兵衛が亡くなったのは1604年、57歳です。

当時は人間50年といわれていた時代だったので黒田官兵衛はともかくとして、竹中半兵衛は当時としても短い一生を閉じています。

ところで、2人とも羽柴秀吉の軍師として両兵衛と讃えられてはいましたが、どうやら生き様は少しばかり異なっていたようです。

竹中半兵衛は軍師として頭脳明晰で数々の合戦で羽柴秀吉を助けますが、その功績に対して見返りを求めることはなく、私心の少ない人物として知られていました。

竹中半兵衛は元々は美濃の斉藤家の家臣でしたが、美濃の梟雄と知られていた斉藤道三の孫である斉藤竜興があまりにも暗愚であったため、主君にお灸をすえる意味もあって僅か10数人の手勢をもって斉藤竜興の居城である稲葉山城を乗っ取ってしまいます。

戦国時代、普通に考えれば竹中半兵衛は美濃の領主になることも可能でしたし、あるいは織田信長の家臣となって栄達を求めることもできたはずでしたが、結局は斉藤竜興に城を返して、自らは隠遁生活に入ってしまいます。

一方の、黒田官兵衛、頭脳明晰は竹中半兵衛とともに優れたものを持っていましたが黒田官兵衛は少なくとも人並みの野心は持っていたと伝えられています。

一説には、後の関ヶ原の合戦時には、関ヶ原の合戦に直接赴くことはなかったものの、はるか九州の地で天下取りを画策していたとも伝えられています。

このように軍師としての能力や立場は、まさに両兵衛と讃えられるほどの実力を示してはいましたが、あることで竹中半兵衛は黒田官兵衛の嫡男である松寿丸(黒田長政)の命を助けて黒田家を救うことになります。

そのきっかけは荒木村重の謀叛。

ある誤解がきっかけとなり、荒木村重は織田信長に対して謀叛の旗をあげます。

そこで黒田官兵衛は荒木村重の謀叛を翻意させるために、荒木村重の居城である有岡城を訪れます。

ただし、そこに待っていたのは幽閉。

黒田官兵衛は幽閉されて1年間有岡城で過ごすことになります。

ところが、織田信長は黒田官兵衛が幽閉されたことなど知る由もありません。

織田家にとっては外様にすぎなかった黒田官兵衛は、織田信長に謀叛を疑われ、黒田官兵衛の嫡男である松寿丸を殺害するよう命じます。

しかし、竹中半兵衛は松寿丸をかくまい命を助けます。

有岡城が落城してわかったのが黒田官兵衛の幽閉。

黒田官兵衛が謀叛を画策しているなどというのはまったくなかった話ですが、そこで起きたのが松寿丸の殺害命令。

でも、結局は松寿丸の命は助かり、将来、松寿丸は福岡藩約52万石大大名となります。

竹中半兵衛が松寿丸の命を助けたのが1578年。

そして、竹中半兵衛が亡くなったのは1579年。

竹中半兵衛は松寿丸の命を救い、その直後に亡くなっています。

荒木村重の謀叛の時、仮に竹中半兵衛がいなかったら、後の黒田家もなかったということで、ここでも歴史の歯車の不思議さを感じさせてくれます。

軍師官兵衛で竹中半兵衛を演じるのは谷原章介。

谷原章介は、あえて人間としては足りない部分がある竹中半兵衛を演じたいと語っているようですが、軍師官兵衛の中での竹中半兵衛はそのとおり、ややひねくれた人物としても描かれているようです。

早くに亡くなってしまう竹中半兵衛ですが、谷原章介の好演に期待をしたいところです。


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