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ビル・ロビンソン死去 国際・新日本・全日本に参戦したプロレス界の功労者

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往年の名レスラー ビル・ロビンソン氏が死去しました。

享年75歳。

現役を引退して久しいとはいえ、日本プロレス界の功労者でもあったビル・ロビンソン氏の死去は、とても残念です。

ビル・ロビンソン氏は1938年生まれ。

イギリスのマンチェスター出身です。

最初、ビル・ロビンソン氏のプロレスを見たのは国際プロレス時代でしょうか。

正直、ビル・ロビンソン氏の印象はあまりよくなかったと記憶しています。

その理由はまったくの偏見ですが、ビル・ロビンソン氏がイギリス出身であったため。

ビル・ロビンソン氏が日本のプロレス界に登場したころは、外国人プロレスラーといえばまずはアメリカ出身。

少なくともそんなイメージを持っていました。

イギリス人はみんな紳士なんだからプロレスをするはずがない。

また、イギリス人はスマートというイメージがありましたが、ビル・ロビンソン氏はプロレスラーらしいがっしりとした体格。

そんな自分のイギリス人のイメージからはかけ離れていたビル・ロビンソン氏。

結構、違和感のあったことを覚えています。

一方、ビル・ロビンソン氏になんとなく親近感を持ったということも記憶に残っています。

当時、子供たちに人気の高かったプロレスのアニメ。

それがタイガーマスクです。

タイガーマスクは、プロレスラーを育成する組織「虎の穴」出身という設定でしたが、ビル・ロビンソン氏は正真正銘「蛇の穴」出身。

もちろん虎の穴はアニメ上設定された架空の組織でしたが、蛇の穴は実在の組織。

虎の穴と蛇の穴、名前が近いこともあってなんとなく親近感を持ちました。

ところで、蛇の穴の正式名称はビリー・ライレージム。

このビリー・ライレージムからはたくさんのプロレスラーが生まれましたが、とりわけ日本のプロレス界で有名になったのが、カール・ゴッチ氏とビル・ロビンソン氏です。

ビリー・ライレージムの特徴は、連続してしつこく技をかけ続ける攻撃、それが蛇をイメージさせることから蛇の穴と呼ばれるようになりました。

そんなビル・ロビンソン氏が日本のプロレス界に参戦。

1968年、ビル・ロビンソン氏30歳のころ、国際プロレスに登場をしています。

国際プロレス、今ではもう消滅していますが、ビル・ロビンソン氏が参戦したころは、グレート草津、寺西勇、マイティ井上、ラッシャー木村、そしてアニマル浜口などの人気レスラーがたくさん在籍していました。

その後、1975年には新日本プロレスに参戦。

新日本プロレスの在籍期間は短かったものの、アントニオ猪木と60分3本勝負で行われたNWFヘビー級タイトルマッチは、60分1対1で時間切れ引き分け。

今でもプロレス界における名勝負として知られています。

そして、1976年には全日本プロレスに参戦。

ジャイアント馬場やジャンボ鶴田と数々の名勝負を繰り広げます。

ビル・ロビンソン氏には蛇の穴出身らしくたくさんの技がありましたが、なんといっても代表的な技が「人間風車」。

人間風車は一般的にはダブル・アーム・スープレックスという名前で知られていますが、ビル・ロビンソン氏がこの技をかけると特別に人間風車という名前で紹介され、ビル・ロビンソン氏の代名詞のようにもなっています。

1985年に引退後はあまり表立った活動はなかったようですが、現役時代のビル・ロビンソン氏の日本プロレス界での活躍は計り知れないものがあり、日本プロレス界の功労者といっても過言ではないように思われます。

なんといっても引退してからすでに30年近くが経過していながら、まだ高い知名度を誇っている、まさに日本プロレス界の功労者である何よりの証拠ではないでしょうか。

ビル・ロビンソン氏の死去、とても寂しいものがあります。


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