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山路和弘演じる安国寺恵瓊は毛利家の外交僧として活躍

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戦国時代の末期、彗星のように登場した尾張の織田信長は天下布武の名のもとに瞬く間に日本を平定していきます。

そして、その途中として行われたのが中国征伐。

現在の近畿地方まで勢力を伸ばしていた織田信長はさらに西国を目指します。

その西国で大きな勢力を誇っていたのが毛利家。

近畿の織田信長と中国の毛利家の衝突は避けられないところでしたが、その間に挟まれていたのが播磨国。

織田信長はまずは播磨に侵攻しようと考え、毛利家は播磨を盾として織田信長の中国地方への侵入を阻止しようとします。

播磨から見れば、東に織田信長、西に毛利家といったところですが、播磨には一国を統治する大名はおらず、より小さな勢力が播磨でしのぎを削っていました。

播磨は小さな勢力が割拠するため自らの力だけでは生き残ることができず、それぞれの領主は織田家につくか、毛利家につくかが家の存続を図るための重要な選択となっていました。

そこで、暗躍するのが毛利家の外交僧であった山路和弘演じる安国寺恵瓊です。

ところで、山路和弘演じる安国寺恵瓊は2つの出来事で歴史の中にその名前を残すことになります。

一つは1573年頃に語ったとされる人物評です。

安国寺恵瓊は破竹の勢いの織田信長とその家臣の羽柴秀吉について語っています。

織田信長については、まだ数年は活躍するが、その後に転んでしまうだろう。

一方、羽柴秀吉については、とても優れた人物だと語っています。

実際に、織田信長は1582年の本能寺の変で亡くなっていますし、羽柴秀吉は織田信長亡き後、天下人になっています。

この逸話は安国寺恵瓊の慧眼を示すものとして有名です。

もう一つは、安国寺恵瓊の死に関する話です。

豊富秀吉亡き後に起こった1600年の関ヶ原の戦い。

この戦いで西軍についた安国寺恵瓊は、戦後、東軍につかまります。

そして、首謀者の石田三成、小西行長とともに六条河原で斬首をされます。

関ヶ原の戦いで討死をした武将は多くとも、最終的に討死ではなく斬首となったのはこの3人。

安国寺恵瓊は思わぬところで、歴史に名前を残すことになります。

そのため、安国寺恵瓊が亡くなったのは現在の暦で1600年11月6日とはっきりしています。

しかし、生年ははっきりとわかりません。

一説には1539年頃とされていますので、仮にこの年を生年とするならば、安国寺恵瓊は61歳で生涯を閉じたことになります。

軍師官兵衛では黒田官兵衛と安国寺恵瓊が会見をしています。

軍師官兵衛では安国寺恵瓊との会見後に、黒田官兵衛が織田信長に謁見をしています。

黒田官兵衛と織田信長の謁見は1575年と伝えられていますので、軍師官兵衛での安国寺恵瓊と黒田官兵衛の出会いは、安国寺恵瓊が36歳、黒田官兵衛が30歳といったところでしょうか。

安国寺恵瓊は毛利家の外交僧として活躍します。

ただ、その活躍の内容は戦闘ではなく調略。

つまり策謀をもって播磨の豪族たちを味方に引き入れる役割です。

知略はあっても、どちらかといえば暗躍する役柄で、多少、暗めで重い人物像として描かれるようです。

そんな外交僧の安国寺恵瓊を地味だけど実力はある山路和弘がどのように演じていくのか楽しみです。


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