大河ドラマやプロ野球などのスポーツについてあれこれと書いています。

吹越満演じる足利義昭は室町幕府最後の将軍で流転の人生

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

軍師官兵衛で、現時点では黒田官兵衛と関係のないところで登場する人物。

それが吹越満演じる足利義昭です。

足利義昭は室町幕府最後の将軍で流転の人生を送っています。

ただし、室町幕府は滅亡したものの、足利義昭自身は流転の人生を送りながら、最後は、戦いではなく病で亡くなっています。

日本にはこれまで3つの幕府が存在しています。

鎌倉幕府、室町幕府、そして江戸幕府です。

この中で室町幕府と江戸幕府はそれぞれ15代まで続いていますが、江戸幕府は将軍が各大名の上に存在して、しっかりとした統制を行っていたのに対して、室町幕府は各大名の代表のような立場で、大名の支援をうけるような形で将軍職を務めていました。

そのため同じく15代続いたといっても、室町幕府の将軍の権威は相対的に低いものになっていました。

室町幕府の15代将軍の中には、殺されてしまった人物や、将軍でありながら一度も京都に入れなかった人物がいるのはそのためです。

ところで、室町幕府の第15代将軍である足利義昭。

この人物は本来将軍になれる人物ではありませんでした。

足利義昭は室町幕府第12代将軍足利義晴の子。

ただ、長男ではなく、13代将軍は兄の義輝が就いたため、足利義昭は僧門に入り「覚慶」となります。

このままでいけば高僧の一人として、波風のない一生を送ったはずですが、兄である13代将軍足利義輝が、大名の三好三人衆と松永久秀に暗殺をされ、その後は三好三人衆と松永久秀が擁立した足利義栄が14代将軍になり、さらには覚慶自身も幽閉され命の危険が及ぶことになります。

そこで、覚慶は幽閉されていた場所から脱出、その後、還俗をして足利義秋となります。

足利義秋が頼ったのは、越前の朝倉義景。

朝倉家は名門大名であったため、足利義秋は当主の朝倉義景に15代将軍になるための力添えを頼みますが、朝倉義景は優柔不断な性格でこれを引き延ばします。

しびれをきらせた足利義秋は足利義昭と改名、今度は新興の戦国大名織田信長を頼ります。

京都に近い尾張で頭角を現してきた織田信長はこれを快諾。

足利義昭を奉じて、あっという間に京都を三好・松永から奪回、足利義昭を15代将軍につけます。

しかし、足利義昭と織田信長の蜜月関係はここまで。

将軍として仕事が行えると考えていた足利義昭に対して、織田信長は徹底的にこれを無視。

織田信長にとって、足利義昭は単なるお飾りにすぎませんでした。

ここで、足利義昭は織田信長に敵対する諸大名に「御内書」という書状を頻発。

とうとう織田信長包囲網を作ることに成功します。

しかし、足利義昭の成功はここまで。

各個撃破に徹した織田信長によって、包囲網は崩され、足利義昭自身も最終的には織田信長により追放され、ここに室町幕府は滅亡を迎えます。

ただ、将軍殺しの悪名を避けたかった織田信長は足利義昭の命は助けます。

そして足利義昭は、西へ向かい、最終的には毛利輝元を頼ります。

毛利輝元に身を寄せているときにも将軍家再興を画策したと伝えられていますが、これはかなわず、豊臣秀吉が天下を取った後に京都に帰還、そこで改めて昌山と名をあらためます。

最後は1597年、豊臣秀吉が亡くなるより1年前に病死、61歳の生涯を閉じます。

室町幕府最後の将軍ということで、足利義昭自身も流転の人生を歩むことにはなりますが、兄の足利義輝や多くの戦国大名とは異なり、病気で死を迎えられました。

そのことは足利義昭にとっては幸いだったのではないでしょうか。

吹越満が演じる足利義昭。

足利義昭は策謀の人で実際に多くの戦国大名を手紙ひとつで動かしてきた人物ですが、足利義昭の流転の人生を吹越満がどのように演じるのか、とても楽しみです。


スポンサードリンク

関連記事

スポンサードリンク