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巨人v9達成時の監督 川上哲治氏が老衰で死去

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巨人v9達成時の監督 川上哲治氏が東京都稲城市の病院で老衰のため死去されました。

93歳という大往生でした。

最近でこそあまり聞かれなくなりましたが、巨人は球界の盟主といわれていた時代が長く続いていました。

この球界の盟主という言葉を決定づけたのがまさに巨人のv9です。

川上哲治氏は1920年3月生まれ。

熊本工業高校を卒業した後、1938年に巨人に入団します。

しかし戦争のためプロ野球も一時中断、1942年に一度は巨人を去ることになります。

戦争終了後は再度巨人に入団、入団が1946年、現役生活を終えたのが1958年です。

川上哲治氏は打撃の神様といわれていますが実績もすごく現役生活18年の中で、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回を獲得しています。

また、「川上の赤バット」も有名でしたね。

ただ、川上哲治氏の名声を決定づけたのはむしろ監督時代。

監督としては巨人を1961年から1974年まで14年にわたって率いていますが、優勝11回、2位・3位・4位各1回というまさに素晴らしい戦績を残しています。

とりわけ1965年から1973年までは9回の連続優勝、いわゆるv9を達成しています。

これはセ・リーグを9年連続して制しただけでなく、日本シリーズも9年連続して制覇、9年連続で日本一の栄冠を勝ち取ったことを意味しています。

ところで、このv9時代の選手を見ると、王貞治、長嶋茂雄の名前を確認することができます。

そのため、v9達成は川上哲治監督の功績ではなく、v9戦士、特にON砲の力によるものと川上哲治監督の功績に疑問を投げかける向きもあったようです。

しかし、川上哲治監督が戦術家として優れていたのも確かです。

とりわけ記憶に残っているのは、いわゆる「哲のカーテン」。

v9時代の巨人の情報管理は他球団を圧倒するものがありました。

その中心にいたのがまさしく川上哲治監督です。

川上哲治監督は勝負に厳しく、そのため選手にとっても厳しい監督だったと伝えられています。

また今では当たり前になっている情報管理も徹底していました。

確かに、ON砲がいたからv9ができたという意見を批判することはできないかもしれませんが、やはり川上哲治監督だったからこそ巨人はv9を達成することができたのではないでしょうか。

老衰のため93歳で死去、まさにプロ野球人気を確立された方の大往生のような気がします。


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