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中谷美紀演じる光(てる)は明るく黒田家を支える

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意外なことですが、中谷美紀は大河ドラマ初出演。

これだけ芸歴が長く、美人女優として有名、しかも目立ったスキャンダルもないのに、これまで大河ドラマに縁がなかったのは不思議です。

そんな中谷美紀が大河ドラマ「軍師官兵衛」に初出演。

しかもその役割はとても重要です。

中谷美紀が軍師官兵衛で演じるのは光(てる)。

黒田官兵衛の正室です。

黒田官兵衛は、1546年に生まれ、1604年に亡くなります。

一方、その妻である光(てる)は、1553年に生まれ、1627年に亡くなります。

黒田官兵衛と光(てる)が結婚をしたのは1567年、黒田官兵衛20歳、光(てる)13歳のころと伝えられています。

したがって、2人が一緒に暮らしていた時代は、1567年の結婚から、黒田官兵衛が死を迎える2004年、約37年いうことになります。

この間、織田信長が天下を大方統一し、その取りまとめを豊臣秀吉が行い、最終的には徳川家康が乱世を鎮めた、重要な時期を迎えていますが、この3人に直接、間接にかかわった黒田官兵衛も大きなうねりの中で生涯を送ります。

また、その波は、当然のことながら黒田官兵衛の正室である光(てる)にも押し寄せてきます。

大河ドラマでは、黒田官兵衛と光(てる)は結婚をしたばかりですが、この後、いくつもの大きな出来事が2人に襲い掛かります。

大きな出来事を見ていくと、まず、1578年には光(てる)の実家である櫛橋氏が織田信長に反旗を翻し黒田家と対立関係に入ります。

また、同年には夫の黒田官兵衛が敵方の荒木村重に幽閉されます。

そして、この幽閉を敵方に寝返ったと勘違いした織田信長は、黒田官兵衛と光(てる)との間に生まれた嫡子 松寿丸を殺すよう命じます。

松寿丸殺害の件は竹中半兵衛の尽力により回避することができましたが、この1578年からの数年間は、黒田官兵衛、光(てる)とも命の危険にさらされ、黒田家の存亡にも重大な影響を及ぼしたとも言われています。

しかし、ここで光(てる)が大活躍します。

光(てる)の実像は大柄で明るく、しっかりとした女性と伝えられています。

この黒田家危難のときも、光(てる)は黒田家の前面に立って、その明るい性格で重く沈みがちな家中を取りまとめたとも言われています。

黒田官兵衛自身は、とても複雑な人物で権謀術策の生涯を送ったという説もあります。

それが、もし事実だとすると、大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田官兵衛はあまりにも良い人すぎるということで違和感を感じる方も多いようですが、ただ、一つ言えることは黒田官兵衛は側室を持たなかったということ。

これは戦国時代を過ごす有力武将にあっては考えづらいところ。

戦国時代で何よりも大切なのは家名を後世に残すことです。

つまり、正室だけでなく、側室を多数抱えるのは、むしろこの時代の常識で、側室を一人も持たなかった黒田官兵衛は時代の非常識であったようです。

黒田官兵衛はのちに洗礼をうけるので、その教義から側室を持たなかったとも考えられますが、それ以前に明るく黒田家を支えてくれる光(てる)への愛情と感謝の気持ちから側室を持たなかった、そう考えたいものです。

また、黒田官兵衛は権謀術策の人というのが定説ですが、それはあくまでも戦いの中でのこと。

むしろ、それ以外は大河ドラマのような人であったことを信じたいと思っています。

中谷美紀演じる光(てる)も「軍師官兵衛」の中では、長い付き合いとなりそうです。


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