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酒井若菜演じる力(りき)の波乱万丈な人生

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軍師官兵衛では、主役の黒田官兵衛がまさに青春時代を送っています。

しかし、その青春時代は楽しいばかりかというとそうでもなく、時は戦国時代、自由を謳歌するには程遠いものがあります。

青春時代を過ごす黒田官兵衛に持ち上がったのが、黒田家の家督相続と結婚の問題。

主君である小寺政職に謀叛を疑われた黒田職隆は、その疑惑の目をそらすため隠居をして家督を嫡男である黒田官兵衛に譲ることになります。

家督相続をすれば、そこは立派な大人。

次に出てくるのが結婚ということになります。

結婚といっても戦国時代ですから、基本的には恋愛結婚は認められず、政略結婚ということになります。

当時、小寺家で重きをなしていたのは、黒田家と櫛橋家、その両家の上に立ってわが身の安全を図ろうとしていたのが小寺政職です。

小寺政職は、黒田官兵衛に櫛橋家の娘との結婚を命じます。

「軍師官兵衛」では、最初に櫛橋家の長女で酒井若菜演じる力(りき)を候補に挙げますが、成り上がりの黒田家を毛嫌いしていた力はこれを拒絶。

結果的には次女の光(てる)が黒田官兵衛と結婚することになります。

ところで、実際のところはどうだったのでしょうか。

力(りき)は1545年生まれ、1560年には上月景貞に嫁いでいます。

一方の光(てる)は1553年生まれ、黒田官兵衛と結婚したのは1567年です。

黒田官兵衛と光(てる)が結婚をしたとき、すでに力(りき)は結婚しているので、力(りき)が黒田官兵衛との結婚を拒絶したというのは、無理があるようです。

ただ、力(りき)の人生に黒田官兵衛が大きな影響を及ぼすのは、どうやら間違いはないようです。

そして、力(りき)の人生は戦国時代の女性の多くがそうであったように波乱万丈でもあります。

上月景貞に嫁いだ力(りき)は一男一女を設け、幸せな生活を送ります。

しかし、織田信長の播磨侵攻で様相は一変。

1577年から始まった織田家と毛利家の戦いで、毛利家についた上月景貞は約7か月間、織田家の武将である羽柴秀吉と干戈を交えますが、最終的には敗北、死を迎えることになります。

このときに力(りき)は一男一女と共に義弟である黒田官兵衛を頼り、その後は黒田官兵衛の庇護をうけることとなり、合わせて出家をして妙寿尼となります。

子供のうち、長女は小早川家の家臣 平岡頼勝に嫁ぎます。

そして、平岡頼勝は関ヶ原の合戦後に小早川家の取り潰しで一時は浪人しますが、徳川家康に見いだされて1万石の大名になります。

この長女は幸せな生活を全うすることはできたのでしょうか。

一方の長男は、上月正好として黒田官兵衛に仕えることになりますが、残念ながら朝鮮出兵で戦死してしまいます。

妙寿尼は夫を失い、子のうちの一人も失うことになりますが、福岡城で黒田官兵衛亡き後に出家をした光(てる)と余生を過ごし、1613年に69歳の波乱万丈の生涯を閉じることになります。

力(りき)も光(てる)も「軍師官兵衛」の主人公である黒田官兵衛よりも長命を保っています。

どうやら「軍師官兵衛」の最後までこの2人の姿を見ることができそうです。

そして力(りき)を務める酒井若菜の演技にも期待をしたいところです。


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