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田中哲史演じる荒木村重は織田信長に重用されるも謀叛で一族を犠牲にする

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軍師官兵衛では、黒田官兵衛と田中哲史演じる荒木村重の出会いが描かれていました。

実際に黒田官兵衛と荒木村重との出会いがドラマのようであったかどうかは定かではありませんが、黒田官兵衛と荒木村重は早い時期から知己があったようであり、そのことが2人の運命を大きく変えることになります。

田中哲史演じる荒木村重の登場シーンは、賊に襲われた黒田官兵衛を荒木村重が刀を抜くことなく退治するという豪胆なものでした。

荒木村重は将来、織田信長に仕えることになりますが、そのはじめのころに織田信長が刀の先に餅をさして荒木村重の前に差し出したところ、その餅をそのまま口にくわえたという逸話があります。

軍師官兵衛でもこの逸話でも荒木村重の豪胆さがしのばれますが、織田信長も荒木村重のこの豪胆さを愛し、家臣に加え重用したといわれています。

荒木村重が織田信長に仕えたのが1573年ころ。

そして武功をあげ、摂津一国を任されるようになったのが、1574年。

実力第一主義の織田家にあってもこの出世はとても早いものとされていました。

しかし、荒木村重の評判が高かったのはこのあたりまで。

豪胆さが特徴の荒木村重も、その後は転落し、戦国時代有数の臆病者、卑怯者といわれるようになります。

背景は諸説あるようですが、荒木村重は1578年になり、突如、織田信長に反旗を翻し謀叛を起こします。

織田信長も一度は荒木村重を許し、荒木村重も一度は許しを乞おうとしますが、結果的には織田信長と対峙、毛利家に寝返ってしまいます。

このとき、荒木村重の謀叛を思いとどめるよう説得に当たった武将の一人に黒田官兵衛がいます。

しかし、荒木村重は黒田官兵衛の説得に耳を貸すことなく、かえって黒田官兵衛を自分の城に約1年もの間、幽閉をします。

このことは黒田官兵衛の将来に大きな影響を及ぼすことになりますが、結果的に荒木村重の謀叛は身を結ぶことなく、荒木村重自身は毛利を頼って城を落ち延びます。

ここで、荒木村重の後世に対する評価を決定づけてしまう出来事がありました。

それは、毛利家へ落ち延びたのは荒木村重だけということです。

荒木村重には妻がいて、子供もいました。

しかし、荒木村重は自分だけが逃げ、家族や一族を城に置き去りにしました。

結果的に、荒木村重は命拾いしたものの、家族や一族は織田信長の命により処刑されることになります。

荒木村重はその後も生き続けます。

織田信長は1582年に本能寺の変で亡くなりますが、荒木村重はその後も生き続け、なんと大阪で茶人として復活、亡くなったのは1586年のことです。

田中哲史演じる荒木村重は豪胆な武将として登場をしました。

また、実際に豪胆な側面もあり、武将としての戦功も目覚ましいものがあったようです。

しかし、謀叛後の荒木村重は豪胆さからかけ離れ、臆病者、卑怯者といわれる人生を送るようになっています。

果たして、荒木村重はどのような人物だったのでしょうか。

そして、田中哲史はどのような荒木村重を描くのでしょうか。

荒木村重は黒田官兵衛の人生にも大きな影響を与えるだけにとても興味深いものです。


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