大河ドラマやプロ野球などのスポーツについてあれこれと書いています。

2013年の大河ドラマ 八重の桜の最終回が少しずつ近づいてきました。

そして、八重の夫である新島襄にも間もなく死が訪れようとしています。

八重と新島襄が結婚をしたのは1876年(明治9年)。

新島襄が亡くなるのは1890年(明治23年)。

新島襄と八重の結婚生活はわずか14年、新島襄は46歳という若さで命を落とします。

新島襄は1884年(明治17年)に同志社大学設立の資金を募るために、海外へ渡航をします。

そして、訪問先のスイスで心臓発作を起こし倒れます。

また、このときに遺書を残しています。

その後、日本に戻りますが、やはり同志社大学設立のために地方を回っていたころ再度心臓疾患で倒れてしまいます。

倒れたのは群馬県前橋市で、倒れた後は神奈川県大磯で静養するも、最後は急性腹膜炎で1890年(明治23年)1月27日に同地で死を迎えます。

同志社が同志社英学校としてスタートをしたのが1875年(明治8年)。

その後、紆余曲折を経ながらも同志社大学となったのが1920年(大正2年)。

さまざまな法律上の制約があったとはいえ、設立から大学に至るまでおよそ45年の歳月が流れています。

まさに、新島襄は同志社に捧げたといっても過言ではないような気がします。

八重の桜では新島襄は間もなく死を迎えます。

では、妻である八重はその後どうなるのでしょうか。

八重が亡くなるのは1932年(昭和7年)のこと。

新島襄が亡くなってからなんと42年後、86歳の長寿でした。

八重は新島襄が死を迎えた後も、さらなる活躍を見せます。

新島襄の死後、八重は意見の対立などもあり同志社からは距離を置くようになりますが、一方、日本赤十字社の正社員となり、日清戦争や日露戦争では傷病人などの看護にあたります。

新島襄と八重の結婚生活はわずか14年で子供もいませんでした。

でも夫婦仲そのものはとても良かったようです。

八重の桜、会津戦争も終わり、ドラマの前半と比べたら大きな盛り上がりには欠けるかもしれません。

そのため視聴率も下降気味ということですが、個人的には銃弾が飛び交う場面より、同じ目的に向かって歩く仲の良い夫婦を見ているほうが安心して楽しむことができます。

新島襄の死で八重の桜はまた一区切りを迎えますが、最終回まで見届けようと思っています。

 


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