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NHK大河ドラマ 八重の桜が最終回  

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2013年のNHK大河ドラマ八重の桜がいよいよ最終回を迎えます。

主人公の八重は1845年生まれ、亡くなったのは1932年。

当時としては珍しく長命で、86歳の生涯を歩んでいます。

時代としては、江戸時代に生まれ、明治・大正を駆け抜け、昭和7年に安らかに激動の生涯を終わらせています。

激動の時代に生き抜いただけに、八重の一生も波乱万丈の生涯でした。

まず第一は、生まれてから明治維新を迎えるまで。

この時代は江戸時代から明治維新を迎えるまでの大きな転換期。

会津という一地方の、しかも女性であった八重には、中央の大きな転換期に本来は関係がないはずでした。

しかし、戊辰戦争が会津におよび、当時は朝敵とされてしまっていた会津は、否応なく戦火に巻き込まれます。

砲術の家に生まれ、鉄砲の扱いを知っていた八重は、会津戦争で官軍と戦います。

残念なことに会津は敗れ、八重自身も父と弟を戦争で失ってしまいます。

しかし、八重にとって第2の人生はここから始まります。

最初の夫と離婚をした八重は、新島襄と知り合い、1876年に結婚をします。

新島襄は幕末の動乱期にアメリカへ密出国。

明治になり帰国をした新島襄は日本でキリスト教の布教活動と教育活動を始めます。

教育活動については、現在の同志社源流を創設しましたが、そこで夫の活動を支えたのが八重。

さまざまな苦難に合いながらも八重は新島襄を支え続けます。

ただ、新島襄は病弱。

新島襄と八重の結婚生活は約15年で幕を閉じることになります。

そして、それからが八重の第3の人生のスタート。

新島襄は1890年に46歳の若さで亡くなります。

その後は、同志社の運営方針などを巡って様々な人と対立。

同志社の活動から距離をとった八重が向かったのが看護活動。

八重は新島襄が亡くなった年に日本赤十字社の社員となり、その後の日清・日露戦争では看護活動に従事をします。

この第3の人生の場面は、八重の桜の最終回でのみ描かれると思われますが、年月的には一番長かったようです。

八重は性格が峻烈で多くの人々と軋轢を生むことも多かったと伝えられています。

八重が仮にいわれている通りの性格で、大河ドラマもその通りに描くとしたら、ドラマとしてはとんでもないことになっていたかもしれません。

しかし、主演が綾瀬はるか。

ドラマとはいえ、ある程度は史実に沿っていた部分もあるようで、そのような場面では綾瀬はるかも八重を厳しい女性ととらえて演じていた部分もあったようですが、綾瀬はるかのおかげで実際の八重よりもかなり柔らかい八重が出来上がったように思われます。

視聴率的には最終回に至るまで苦戦をしたNHK大河ドラマ「八重の桜」ですが、良質のドラマを提供してくれたことに間違いはありません。

語弊があるかもしれませんが、とても楽しい大河ドラマでした。

来年のNHK大河ドラマも期待をしています。


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