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久栄と徳富健次郎(徳冨蘆花)の婚約と破局

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八重の桜では山本覚馬の妻である時栄が山本覚馬と離婚し山本家を去りました。

その娘である久栄は山本家に残りますが、今度は徳富健次郎(徳冨蘆花)との婚約の問題が持ち上がります。

久栄は山本家に残ったものの母の時栄と会うことはできず、また父の山本覚馬や叔母に当たる八重の干渉等もあって鬱屈した日々を過ごしています。

一方の徳富健次郎(徳冨蘆花)は、兄である徳富猪一郎(徳富蘇峰)と常に比較され、こちらも鬱屈した青春を送っています。

徳富健次郎(徳冨蘆花)は同志社英学校に在籍していましたが、明治13年には退学し郷里の熊本県に帰っていました。

その後、徳富健次郎(徳冨蘆花)は愛媛県今治市の伊勢時雄のもとに身を寄せます。

伊勢時雄の妻は久栄にとっては異母姉のみね。

そうした縁もあり徳富健次郎(徳冨蘆花)は明治19年に京都に戻り、同志社英学校に復学をします。

そのとき久栄は同志社女学校に在籍。

不満の多い青春時代を送っていた二人は、似た境遇を語り合ううちに恋愛に発展、その後、婚約をします。

ただ婚約はしましたが徳富健次郎(徳冨蘆花)と久栄は結婚には至っていません。

それは婚約はしたものの婚約破棄があり二人の仲が破局を迎えてしまったためです。

婚約が破局した理由についてはどうもはっきりとしない部分もあるようですが、やはり山本覚馬や八重の過干渉、あるいは別の男性の出現などがあるようです。

破局に痛手を受けた徳富健次郎(徳冨蘆花)は再度同志社英学校を退学し京都を去ります。

徳富健次郎(徳冨蘆花)のその後はあまりにも有名で小説家として「不如帰」などを発表、昭和2年に58歳で亡くなります。

なお、徳富健次郎(徳冨蘆花)の作品「黒い眼と茶色の目」は自伝的小説で、徳富健次郎(徳冨蘆花)と久栄についても書かれています。

一方の久栄は同志社女学校を明治21年に卒業後、神戸英和女学校へ進学、卒業後は京都の英学校で働くようになりますが、結婚することなく病気のため明治26年に亡くなります。

わずか23歳の短い生涯でした。

次回の八重の桜では、久栄の姉で伊勢時雄の妻であるみねが産後の肥立ちが悪いため、やはり短い生涯を遂げるようです。

大河ドラマは最終回に近づくと不幸な出来事が起こることが多いようです。

一人の人物を1年間にわたって描き続けるのが大河ドラマですから仕方のないこととはいえ、やはり寒くなる時期に悲しい出来事の連続。

どうしても一抹の寂しさを覚えてしまいます。


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