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二階堂ふみが演じる茶々(淀君)は豊臣秀吉の側室となり秀頼を産むも豊臣家を滅亡に導く

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軍師官兵衛も後半に入り、新たな人物の登場も目立ってきています。

軍師官兵衛の前半は黒田官兵衛自身が地方の一武将にすぎなかったため、登場する人物も知名度の低い人が多かったようですが、後半の黒田官兵衛は天下取りの軍師。

黒田官兵衛が、羽柴秀吉改め豊臣秀吉に近い存在であったことも大きく影響して、新たな登場人物も歴史上著名な人物が多くなっています。

そのなかでもとりわけ大きな存在が二階堂ふみが演じる茶々。

将来、淀君となる茶々は、豊臣家を大きく揺るがす存在になってきます。

では、二階堂ふみが演じる茶々(淀君)とはどのような女性だったのでしょうか。

茶々は1569年に生まれ、1615年に亡くなります。

父は戦国大名の浅井長政、母は織田信長の妹で絶世の美女といわれたお市の方です。

浅井長政とお市の方の婚姻はまさに政略結婚。

織田信長が上洛を果たすために仕組まれた結婚です。

しかし、実際の夫婦仲は良かったと伝えられ、2人の間には1男3女が誕生します。

その長女が茶々。

ちなみに将来、次女のお初は京極家に嫁ぎ、三女の江は徳川秀忠に嫁いでいます。

ところで、織田信長の妹婿となった浅井長政ですが、浅井家と長らく盟友関係にあった朝倉義景に引きづられるような形で、織田信長と敵対。

結果的には1573年に浅井長政は自害をします。

そして、お市の方と茶々など3人の女の子は織田信長に庇護されます。(長男の万福丸は殺害)

しばらく平穏な時を送っていた茶々ですが、その運命が一変するのが、織田信長の死。

その死後に行われた清州会議の前後に、お市の方は織田家の宿老であった柴田勝家に嫁ぐことになり、あわせて茶々なども柴田勝家の領地であった越前国に行くことになりました。

ただ、ここでの平穏な生活はわずか半年ほど。

柴田勝家とは犬猿の仲といわれた、羽柴秀吉ととうとう武力衝突。

戦術を誤った柴田勝家は北ノ庄で自害。

あわせてお市の方も運命をともにします。

しかし、茶々をはじめ3人の子供は救出。

今度は、羽柴秀吉の庇護をうけることになります。

3人の命は保障されたものの、無類の女好きといわれた羽柴秀吉は、3姉妹のうち長女の茶々に目をつけ、とうとう1588年頃、茶々を側室にすることに成功をします。

とはいっても茶々はあくまでも側室。

正室のおねとは立場上、比較することは全くできない存在でした。

そんな茶々でしたが、1589年には長男鶴松を生み、合わせて豊臣秀吉より山城国淀城を賜ったことから、その後は淀君、淀殿などと称されるようになります。

鶴松は早世したものの、1593年には後の豊臣秀頼となる子を産んだことから、淀君は豊臣家における地位を確固たるものにします。

そして1598年、豊臣秀吉が亡くなると、すぐさま権力争いが始まります。

具体的には、淀君に近かった石田三成と、おねに近かった徳川家康の権力闘争ですが、それが形となったのが1600年の関ヶ原の戦い。

この戦いで徳川家康が勝利を収めたことで、天下は徳川家に転がり、豊臣家は地方の一大名に転落をします。

もっとも、豊臣家はそのようなことを認めませんでしたし、もちろん淀君も相変わらず天下は豊臣家のものと信じ続けます。

ただ徳川家から見たら、服従しようとしない豊臣家は邪魔な存在。

その後、1614年の大坂冬の陣、1615年の大阪夏の陣、この2つの戦いで徳川家康は豊臣家を滅ぼし、淀君も豊臣秀頼も自害をして豊臣家は滅亡をします。

織田信長の姪、浅井長政の娘という立場に生まれた茶々でしたが、父も母も戦で失い、自らも戦の中で命を落とした茶々。

軍師官兵衛の主人公は黒田官兵衛。

その黒田官兵衛は1604年に亡くなっていますので、軍師官兵衛の中では茶々(淀君)の波乱万丈の人生のすべてが描かれるわけではないと思われますが、進境著しい女優二階堂ふみが、どのような茶々、そして淀君を描いていくのか、とても楽しみです。


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