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黒田熊之助は黒田官兵衛の次男で黒田長政の弟だが元服前に亡くなる

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軍師官兵衛も後半に入り、黒田官兵衛の軍師らしさがいかんなく発揮されています。

そんな中で登場をするのが黒田熊之助。

黒田熊之助は黒田官兵衛の次男で黒田長政の弟ということになります。

軍師官兵衛の中ではまだ生まれたばかりの赤ちゃんとして登場をしていますが、黒田熊之助とはどのような人物だったのでしょうか。

黒田熊之助が亡くなったのは1597年。

これははっきりとしています。

一方、生年については1583年生まれというのが有力なようですが、1580年生まれ、あるいは1582年生まれという説もあります。

亡くなったのは16歳といわれていますが、仮にそれが正しいとすれば1580年生まれというのがもっとも近いような気もします。

ところで、記録で出てくる名前は黒田熊之助。

これはいわゆる幼名で、元服前の名前です。

記録に元服後の名前が見当たらないということは、元服前に亡くなった可能性が高いことを示しています。

当時、元服する年齢は多少のずれがあるとはいえ、おおむね15歳前後ですから、もしかしたら16歳よりも少し前の時期に亡くなったことも考えられます。

このように、生年にいくつかの説があるため、亡くなったのが何歳なのかも判然とはしませんが、記録に元服後の名前が見受けられないことを考えると、元服前に亡くなった可能性は高いように思われます。

黒田熊之助が亡くなったのは1597年。

これははっきりとしています。

また、死因もいわゆる事故死、これもはっきりとしています。

1597年といえば豊臣秀吉の亡くなる前年。

ちょうど慶長の役が行われていた最中です。

黒田熊之助は当時住んでいた中津城から朝鮮へ渡海しようとします。

しかし、玄界灘で強風にあおられ船は沈没、遭難死をします。

このように亡くなった年も、亡くなった原因もはっきりとはしていますが、一つわからないこともあります。

それは、黒田熊之助が朝鮮へ行こうとした理由です。

この理由は2つありますが、内容的には正反対なのでどちらが真実なのか、どうもはっきりとはしていないようです。

1つ目の理由は、朝鮮で戦う父の黒田官兵衛と兄の黒田長政を慰問のために渡海したという説。

2つ目の理由は、自分も父や兄と共に戦いたいがために、無断で渡航をしたという説。

前者であれば黒田家公認の渡海となりますし、後者であれば逆に黒田家の意志に反した行動だと言えそうです。

では、果たしてどちらか。

もちろん推測にすぎませんが、基本的に前者はあり得ないことだと思われます。

その理由はただ一つ。

血統を絶やすことはできないということです。

黒田官兵衛、その嫡男である黒田長政、そして次男である黒田熊之助。

この3人しか黒田家の血を受け継ぐものはいません。

しかもそのうちの2人が異国の地で戦っているという事であれば、どうしても黒田熊之助は温存する必要があります。

もしかしたら、元服前の名前しか残されていないということは、血統を保つためにあえて元服を先延ばしにした可能性もあります。

元服をすれば戦場に出なければなりません。

しかし、戦場に出ることで命の危険にさらされ、黒田家の正当な血統を受け継ぐものが根絶やしになってしまう可能性もあります。

そう考えると、慰問のために渡海したというのはあり得ないこと。

黒田熊之助は無断で渡海し、そして命を落としてしまった可能性の方がはるかに高いようにも思われます。

黒田熊之助は若くして亡くなってしまったために、登場回数も決して多くはないでしょうし、少年期をだれが演じるのかもわかりませんが、軍師官兵衛ではどのような黒田熊之助を作り上げていくのか、楽しみです。


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