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寺尾聡演じる徳川家康は黒田官兵衛を軍師にする

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2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」も後半に入り、大物の登場人物も入れ替わりがでてきました。

1582年6月の本能寺の変。

明智光秀に謀叛を起こされた織田信長はここで自害して果てますが、本能寺の変を契機に、織田信長に代わって天下人を目指した人物は少なくとも2人はいます。

その一人は羽柴秀吉(豊臣秀吉)であり、もう一人は寺尾聡演じる徳川家康です。

これまで軍師官兵衛に徳川家康は登場していませんでしたが、織田家と徳川家は本能寺の変よりも20年以上前、具体的には織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の戦いの少しあとから同盟関係を結んでいました。

実質的にこの同盟は織田家が主で、徳川家が従という関係でしたが、それでも織田信長の家臣にすぎなかった羽柴秀吉よりは徳川家康の方が格上です。

本能寺の変後、羽柴秀吉と徳川家康が同じ条件におかれていたならば、その後の天下は徳川家康のもとに転がり込んでいた可能性はあります。

しかし、徳川家康は本能寺の変の時は織田信長の招きにより、京と堺を観光しており、それに付き従う家臣もごくわずか。

明智光秀を討つどころか自らの領地に帰るのがっとのありさま。

ようやく陣容を整えて明智光秀を討つために上京しようとしたところ、すでに羽柴秀吉が山崎の合戦で明智光秀を討ち取ってしまいます。

これで羽柴秀吉が天下を取ったわけではありませんが、徳川家康よりもはるかにアドバンテージを得ることができました。

今まで、寺尾聡演じる徳川家康の登場シーンはありませんでしたが、このあたりから登場する気配があります。

その後、1584年の小牧・長久手の戦いで両雄はぶつかります。

局地戦では徳川家康が勝利したものの、戦略面では羽柴秀吉が戦いを有利に進め、その後、徳川家康は羽柴秀吉に臣従することになります。

寺尾聡演じる徳川家康の登場が本能寺の変後であるとするならば、徳川家康と羽柴秀吉、あるいは黒田官兵衛との接点は小牧・長久手の戦いで出てきそうです。

ところで黒田官兵衛です。

黒田官兵衛と羽柴秀吉の関係はしばらくの間、蜜月関係にありました。

しかし、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が天下を取る過程で、豊臣秀吉は黒田官兵衛の真意に疑問を感じ、黒田官兵衛が天下を狙っていると思うようになります。

それをいち早く察知した黒田官兵衛は家督を嫡男の黒田長政に譲り隠居、ある程度の疑念を果たすことに成功をします。

しかし、本当に黒田官兵衛は天下取りの野心はなかったのでしょうか。

軍師といわれるだけあって内心ではいろいろな策略を考えていた可能性も否定はできません。

ただ、豊臣秀吉の生存中は、それを明確に出すことはなかったと思います。

黒田官兵衛が天下取りの野心を抱いたとすれば、それは豊臣秀吉がなくなった後のことです。

豊臣秀吉がなくなった後、豊臣家を盛り立てようとしたのは石田三成です。

しかし、石田三成には人望がなく、黒田官兵衛も石田三成を嫌っていたようです。

そうなると必然的に黒田官兵衛は徳川家康よりになっていきます。

ただし、この段階で黒田官兵衛は徳川家康の家臣になっているわけではありません。

そうして起こったの1600年の関ヶ原の戦い。

関ヶ原の戦いは、その名の通り、関ヶ原を舞台にした戦いです。

では黒田官兵衛はそのときどこにいたのでしょうか。

黒田家の家督を継いだ黒田長政は徳川家康に従っていました。

一方、黒田官兵衛は隠居の身。

徳川家康と共に行動する必要もないので、豊前の中津城にいましたが、そこで兵を募り挙兵をします。

挙兵の目的は九州で石田三成の西軍に与する大名を討伐するため。

こうした大義名分だけを見ると、黒田官兵衛は徳川家康のために働いていると見えそうですが、実は大違い、そんな説もあります。

関ヶ原の戦いは天下分け目の大戦。

関ヶ原の戦いはわずか半日で終わりましたが、普通に考えたら長期戦になる可能性が高い戦い。

黒田官兵衛もそのように考えていて、徳川家康と石田三成が長期の戦いで戦力を消耗している間に九州一帯を制覇し、あわよくば徳川家康も石田三成も破り、自らが天下人になろうと考えていたとも言われています。

関ヶ原の戦いの後、戦功をあげた黒田長政と対面した折、黒田長政が徳川家康に戦功を称されて何度も私の手を握ってくれたと語ったところ、黒田官兵衛は黒田長政に対して、なぜあいている手で徳川家康を刺さなかったのかと叱責をされたという逸話が残されています。

この逸話そのものは、創作という説が強いようですが、黒田官兵衛が天下を狙っていた証拠ということで語られています。

望んでいたのかどうかは別として、黒田官兵衛が天下を取ることは結果的にありませんでした。

仮に黒田官兵衛が天下を取っていたとしたら「天下人官兵衛」であり、「軍師官兵衛」という呼称は存在しなかったはずです。

言い換えると、豊臣秀吉が天下を取り、徳川家康が天下を取り、黒田官兵衛は天下を取ることなく軍師の地位で終わったということになります。

黒田官兵衛は歴史の中で多大な功績を挙げていますが、天下人ではなく軍師の地位に押しとどめたのは、もしかしたら徳川家康であるのかもしれません。

黒田官兵衛は軍師官兵衛の中でこれから最大の輝きを見せようとしています。

寺尾聡演じる徳川家康と黒田官兵衛がどのようにかかわっていくのか、これからのドラマの展開がとても楽しみです。


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