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宇梶剛士が演じる清水宗治は備中高松城の水攻めにあい切腹する

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これまで軍師官兵衛の中では中心人物の一人として登場していた織田信長。

その織田信長の最期もすぐそこまで迫っているようです。

天下布武の名のもとに天下統一に突き進んでいた織田信長でしたが、少しずつその歯車が狂いだしてきています。

元より冷酷で残虐ということで、他の大名から恐れられていた織田信長ですが、特に荒木村重の謀叛後、その一族に対する仕打ちの苛烈さ、あるいは織田譜代の武将として知られていた佐久間信盛の追放など、織田信長の家臣からさえ恐れられるようになってきます。

最終的には、織田信長は家臣の明智光秀により天正10年6月2日、本能寺の変により討たれることになりますが、それも織田信長の性格が原因だったのでしょうか。

ところで、織田信長の亡くなった2日後、天正10年6月4日に切腹して果てたのが、備中高松城主の清水宗治です。

歴史上に名を残した人物は多数いますが、清水宗治もその一人。

ただし清水宗治の場合は、生きていた時の事績よりも、切腹して命を落とす時の散り際の潔さが見事ということで、現在でもその名を残しています。

清水宗治は1537年に生まれ、天正10年、すなわち1582年に亡くなります。

軍師官兵衛では、まだ清水宗治は登場していませんが、清水宗治は宇梶剛士が演じています。

宇梶剛士演じる清水宗治は最初は備中国の豪族三村氏の家臣でしたが、その後毛利氏に従い、天正10年当時は毛利氏の小早川隆景の配下として備中高松城を任されていました。

当時の備中高松城は毛利氏にとって重要な拠点で、具体的には織田信長に対する最前線の拠点のような位置にありました。

そのため、毛利氏も信頼できる武将をここに置く必要があり、そこで選ばれたのが清水宗治です。

天正10年になると、いよいよ織田家、具体的には羽柴秀吉が備中に侵攻してきます。

羽柴秀吉は、当初、清水宗治を調略で懐柔しようとしますが、清水宗治はこれを拒否。

調略では清水宗治を降せないとみた羽柴秀吉は、黒田官兵衛の進言に従い備中高松城を水攻めにします。

水攻めは時間はかかるものの、味方の損害を最小限に防ぐことができ、実際に高松城は水攻めに適した地勢を持っていました。

その水攻めが功を奏し、いよいよ落城も時間の問題と思われた時に起こったのが本能寺の変です。

本能寺の変が起こったのは6月2日ですが、この情報をいち早くつかんだ羽柴秀吉は毛利氏と和議を結ぼうとします。

その和議の条件は清水宗治の切腹。

清水宗治を切腹させる代わりに、高松城に籠城する兵士などを助けるという条件でした。

毛利氏は清水宗治を失いたくないとしてこの講和は長引く可能性もありましたが、清水宗治自身はこの条件に納得して、6月14日に城の外の水攻めにより水がたたえられている堀に舟でこぎだし、その船の上で見事切腹して果てます。

それまで、清水宗治は毛利氏にとっては、ただの忠義の士。

おそらく命を長らえたのであれば、それほど歴史上に名を残すこともなかったと思われますが、切腹のときの潔さ、あるいは家臣などを一死でもって助けたことなどで、歴史上に名を残す武将になりました。

この清水宗治を演じるのが宇梶剛士。

清水宗治が軍師官兵衛に登場するのは決して長い期間ではないかもしれませんが、宇梶剛士の清水宗治はまさに適役のような気がします。

登場する場面はそれほど長くはないかもしれませんが、宇梶剛士演じる清水宗治をみるのがとても楽しみです。


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